新型コロナ流行

新型コロナ流行

2020年2月29日

新型コロナウイルスがパンデミックの模様を呈しています。

実は約100年前、世界中で2000万人~4500万人が死亡し、日本国内でも約45万人が死亡した「スペイン風邪」があります1918年から1920年までの約2年間、新型ウイルスによるパンデミックが起こり、当時の世界人口の3割に当たる5億人が感染。そのうち2000万人~4500万人が死亡したのがスペイン風邪で、現在の研究でそのウイルスはH1N1型と特定されている。

 スペイン風邪の発生は1918年春頃でアメリカの陸軍基地の兵営からだとされる。当時は第一次世界大戦中で、アメリカ軍の欧州派遣によって世界中にばら撒かれることになった。当時のパンデミックは、航空機ではなく船舶による人の移動によって軍隊から民間人へと広まっていく。

 ちなみに、アメリカから発生したのになぜスペイン風邪という呼称なのか。それは当時、中立国であったスペインがこの新型ウイルスの感染と惨状を戦時報道管制からスペイン電として世界に発信されたからとのこと。

 日本でスペイン風邪が確認されたのは、1918年当時日本が台湾に巡業した力士団のうち3人の力士が肺炎等によって死亡した事が契機で、同年5月に横須賀軍港に停泊中の軍艦に患者が発生し横須賀市内へと広がった。当時のスペイン風邪の俗称は「流行性感冒」である。

日本に於けるスペイン風邪流行は「前流行」と「後流行」の二波に別れるという。「前流行」は1918年の感染拡大。「後流行」は1919年の感染拡大である。どちらも同じH1N1型のウイルスが原因であったが、現在の研究では「後流行」の方が致死率が高く、この二つの流行の間にウイルスに変異が生じた可能性もあるという。ともあれこのスペイン風邪によって、最終的に当時の日本の総人口約5600万人のうち、0.8%強に当たる45万人が死亡した。単純にこの死亡率を現在の日本に当てはめると、120万人が死ぬ計算になる。これは大阪市の人口の約半分にあたるそうだ。

 さてその当時どう対応したかであるが結論から言えば根本的には無策だった。なぜならスペイン風邪の病原体であるH1N1型ウイルスは、当時の光学顕微鏡で見ることが出来なかったからだ。人類がウイルスを観測できる電子顕微鏡を開発したのは1930年代。実際にこのスペイン風邪のウイルスを分離することに成功したのは、流行が終わって十五年が過ぎた1935年の出来事であった。

 つまり当時の人類や日本政府は、スペイン風邪の原因を特定する技術を持たなかった。当時の研究者や医師はこの原因を「細菌」だと考えていたが、実際にはウイルスであった。当時の人類はまだウイルスに対し全くの無力だったのである。

 それでも、当時の対処は基本的には「マスク着用」「患者の隔離」など現在の新型コロナに対する対処法と同様の認識を持っていたことが分かる。市内の幼稚園、小・中学校等の全面休校。「予防心得」は人ごみに出ない、マスクを着用する、うがいの励行、身体弱者はとりわけ注意すること。そしてこれもまた現在と同じように、各地での集会、興行、力士の巡業、活劇などは続々中止・閉鎖されていった。

 このようにして猛威を振るったスペイン風邪は、1920年が過ぎると自然に鎮静化した。なぜか?それはスペイン風邪を引き起こしたH1N1型ウイルスが、日本の隅々にまで拡大しもはやそれ以上感染が拡大する限界を迎えたからだ。そしてスペイン風邪にかかり、生き残った人々が免疫抗体を獲得したからである。

 100年前のパンデミックと現在、我々が採るべき方針はあまり変わらないように思える。すなわちウイルスの猛威に対しては防衛的な姿勢を貫き、じっと私たちの免疫がウイルスに打ち勝つのを待つ。実際にスペイン風邪はそのようにして終息しパンデミックを乗り越えている。

 ヒト・モノが航空機という船舶よりも何十倍も速い速度で移動できるようになった現在、新型ウイルスの伝播の速度はスペイン風邪当時とは比較にならないだろう。だが100年前と大きく違うところは、私たちの医学は驚くべきほど進化し、当時その原因すらわからなかったウイルスを、私たちは直接観察することが出来、なんであれば人工的にウイルスすら制作できる技術力を保有しているという点だ。

営業課、中原

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